非常階段(ひじょうかいだん)
小学校から大学、就職先まで同窓だったシルク・ミヤコの女性コンビ。2人が好きだったバンド名をそのままコンビ名とする。素人漫才時代に吉本から誘われ「心斎橋筋2丁目劇場」に出演しはじめ、各種新人賞を受賞。2丁目メンバーとして漫才やコントで活動する一方、旧花月劇場やNGKの舞台にも定期的に立つようになる。
1996年、ミヤコが肺がんによる心不全で37歳で死去。シルクは現在もピンで芸能活動を続けている。
師匠を持たないノーブランド芸人で、同年代のダウンタウン、トミーズ、ハイヒールなどがNSC(NewStarCreation=吉本総合芸能学院)出身なのに対し彼女らは全く独自の素人漫才からスタートしており、本当のノーブランドで芸界入りした異色のコンビと言えるでしょうか。大阪外大(現・阪大外国語学部)出身で、いわゆる高学歴芸人のはしりとも言われており、確かに大学卒の芸人さんが目立ってきたのも彼女ら以降のように思えます(もちろんそれ以前にいなかったわけではありませんが)。
漫才ネタは、高学歴・高収入・高身長の「三高」とか今でいう婚活ネタ、またOLネタなどまさにその年代の女性には共感を呼ぶものが多かったのですが、観客の年齢幅が広い・・・と言うか高めの旧花月ではかなり苦戦を強いられていました。これは2丁目劇場と花月の両方に出ている芸人さんにほぼ共通の傾向と言えるもので、その中で花月でもある程度通用するようになってきたのがハイヒール、トミーズ、圭・修あたりでしたが、非常階段はもう一皮むけきれなかったというか、花月フレンドリーにはなりきれなかったという感じでした。
ただ、テレビ・ラジオなど電波での露出はかなり多く、ちょっとした番組の司会やレポーター、ロケなどでは重宝されていました。私の最も印象の強いのはやはりABC『ナイトinナイト火曜日』の「ギャルvsおっさん」クイズ合戦ですね(まぁ年齢的にギャルと言うのがふさわしいかどうかは不問といたしましょう)。
旧花月劇場での出囃子は渡辺美里「MyRevolution」でした。この歌詞の中に非常階段という言葉が出てくるんですね。なお、コンビ名の由来は「劇場の非常階段でよく漫才の稽古をしていたから」という説を私も長らく信じていたのですが、実際は上述のとおりだそうです。
漫才よりもタレントとして活動した方が本人たちにとってもよいのではないかと、かねてから思っていましたが、そう思っていた矢先のミヤコさんの死はあまりにも早すぎました。小学校の頃からからいつも一緒だった相方をなくしたシルクさんの悲しみは察して余りありますが、現在もその美貌?衰えず「美容番長」として今なおピンで活躍されているのはせめてもの救いです。