花月の「めくり」

吉本興業がかつて経営していた演芸場・・・旧なんば花月、旧うめだ花月、旧京都花月・・・で昭和末期から平成初期にかけての閉館時まで使用されていためくりをネット上で復活させ、古き良き時代の旧花月劇場を語るブログです。
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    滝あきら
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      滝あきら(たき あきら)

      滝井健二門下。吉本で唯一「漫談」の看板で舞台に立っていた(本人談)。口調が西条凡児と酷似していたが、凡児が毒舌で鳴らしたのに対し、軽い社会風刺や艶ネタなどを主体としたおとなしい芸風であった。弟子に滝トール、九十九一、村上ショージがいる。
      1992年死去。周囲に実際の年齢を明かしたことはなく、生年は1922年(月亭八方説)、1924年(相羽秋夫説)、1925年の3説あり。

       

       

       

       

       

       

      さあ旧花月ファンの皆様お待たせしました!漫談の滝あきら師の登場です。どんどん突っ込みまくってください(笑)

      もう何とも言いようのない味のあるもっちゃりとしたしゃべりで、社会風刺をしてるつもりがまったく風刺に聞こえない(笑)不思議な話術の持ち主でした。

      まあ最近は女性もおしゃれになって、顔じゅう赤とか青とか黄色とかいっぱい塗りたくって、ほんで出来た顔があんた、京都の五色豆みたいになってまんねや。

      三船敏郎、ビールのCMで唇についたビールの泡をふっと吹いて「男は黙ってサッポロビール」。このギャラがなんと1億円でっせ!泡吹いて1億円。うちの親父、泡吹いて死んだがな。

      神田正輝と聖子ちゃんの結婚式、聖子ちゃん抱きかかえられてましたわ。あれで集まった祝儀3億円やて。神田正輝は聖子ちゃん抱いて3億円。わたい、こないだホテルで女抱いて3万円取られ、いやあのね・・・

      この、話が危うい方向へ行きかけたときの「いやあのね」が滝師の持ちギャグというか、笑いのポイントの一つでした。

      時事ネタとかもそれなりにありましたが、この人が言うとなぜか信憑性に疑義が生じるというか、正しいことを言ってても「ほんまかいな」と思ってしまうことがよくありました。

      芸人さんの間でも「滝師匠はウソが多い」などとよく言われていたそうですが、決してだまそうとかという悪意のあるウソではなくて単なる思い違いが多かっただけに過ぎないらしく、滝師の人柄を慕い愛する芸人さんたちが親しみを込めてそう言っていたのでしょう。
      ただ、年齢と「ヅラ」に関しては亡くなる直前まで他人に真実を告げることがなかったそうで、松本人志氏によると「滝師匠が、ずっと否定してたヅラをラジオで告白して1週間後ぐらいに亡くなった。もうええ、て思たんやろな」とのことだそうです。

      なかなかの資産家で、副業(本業?)でお好み焼き屋を経営していたそうです。ある日、キャベツが値上がりすることを察知した滝師は急遽トラック数台分のキャベツを仕入れて、そのほとんどを腐らせてしまったという逸話も残っています(相羽秋夫「演芸おち簿ひろい」)。

      師匠の滝井健二師については詳細がほとんど不明です。ご存知の方がおられたらご教示ください。ただ、滝師の本名も滝井姓なので、親族関係にあった方かも知れません。

      一番弟子の滝トールは、現在もKBS京都ラジオ「滝トールのおつかれさん!」や奈良テレビ「演歌百撰」の司会などで活躍中。「演歌百撰」は数年前までサンテレビでも見ることが出来たのですが、ネットを取りやめたようですね。九十九一は師匠に嫌気がさして名古屋、東京へ出て行ってしまったと聞いたことがあります。村上ショージはその反対で、師匠が亡くなるまで甲斐甲斐しく世話をしていたとのことで、同じ弟子でもこんなに違うものかと思わされます。

       

      上述のとおり、私が旧花月通いをしていた昭和末期から平成初期にかけては、滝師は舞台で「吉本で漫談という看板は自分ひとり」とおっしゃっていたのですが、その前には吉本では桃山こうた(桃山こう太)という人が、ブラックユーモア主体の「黒の漫談」と称する話芸で旧花月の舞台に立っていました(相羽秋夫『現代上方演芸人名鑑』)。他にも漫談と銘打っていた人もいたのかも知れませんが、この時期には確かに漫談の看板でやっていたのは滝師ただひとりでした。

      花月での出囃子は落語の「晒くずし」。ひととおりしゃべり終えて「また聞いてもらいます、おおきに」と言って舞台を降りるのが通例でした。

      旧うめだ花月の閉館がアナウンスされた後の舞台では、いつもの漫談に加えて「私ら芸人はイタ(舞台)の上で死ななあかんと思てまんねん」という、何かを悟ったかのような言葉を口にされていたように記憶しています。

       

      1990年3月31日、私は旧うめだ花月閉館日の客席にいました。

      通常興行が終わり、舞台上にはうめだ花月に別れを告げる芸人さんたちで一杯となったところ、一階客席最後部の入口からハンドマイクを持って「毎度おさわがせします…」と現れたのが滝あきら師でした。そのままマイクでいろいろ喋りながら通路を通って舞台へ上られるまでの間、客席も舞台上も万雷の拍手の渦…

      そして、別れを惜しむ間もそこそこに、場内には尾崎紀世彦『また逢う日まで』が流れて最後の緞帳が下りて行きました。
      滝師が亡くなられたのは、その約2年後のことでした。
      | よんかく | 漫談 | 23:05 | comments(0) | - |
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