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花月の「めくり」吉本興業がかつて経営していた演芸場・・・旧なんば花月、旧うめだ花月、旧京都花月・・・で昭和末期から平成初期にかけての閉館時まで使用されていためくりをネット上で復活させ、古き良き時代の旧花月劇場を語るブログです。
2017.01.07 Saturday
滝あきら
滝あきら(たき あきら)
さあ旧花月ファンの皆様お待たせしました!漫談の滝あきら師の登場です。どんどん突っ込みまくってください(笑)
上述のとおり、私が旧花月通いをしていた昭和末期から平成初期にかけては、滝師は舞台で「吉本で漫談という看板は自分ひとり」とおっしゃっていたのですが、その前には吉本では桃山こうた(桃山こう太)という人が、ブラックユーモア主体の「黒の漫談」と称する話芸で旧花月の舞台に立っていました(相羽秋夫『現代上方演芸人名鑑』)。他にも漫談と銘打っていた人もいたのかも知れませんが、この時期には確かに漫談の看板でやっていたのは滝師ただひとりでした。 旧うめだ花月の閉館がアナウンスされた後の舞台では、いつもの漫談に加えて「私ら芸人はイタ(舞台)の上で死ななあかんと思てまんねん」という、何かを悟ったかのような言葉を口にされていたように記憶しています。
1990年3月31日、私は旧うめだ花月閉館日の客席にいました。 通常興行が終わり、舞台上にはうめだ花月に別れを告げる芸人さんたちで一杯となったところ、一階客席最後部の入口からハンドマイクを持って「毎度おさわがせします…」と現れたのが滝あきら師でした。そのままマイクでいろいろ喋りながら通路を通って舞台へ上られるまでの間、客席も舞台上も万雷の拍手の渦… そして、別れを惜しむ間もそこそこに、場内には尾崎紀世彦『また逢う日まで』が流れて最後の緞帳が下りて行きました。
滝師が亡くなられたのは、その約2年後のことでした。
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