花月の「めくり」

吉本興業がかつて経営していた演芸場・・・旧なんば花月、旧うめだ花月、旧京都花月・・・で昭和末期から平成初期にかけての閉館時まで使用されていためくりをネット上で復活させ、古き良き時代の旧花月劇場を語るブログです。
<< いくよ・くるよ | main | 三人奴 >>
スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | スポンサードリンク | - | | - | - |
    桂小文枝
    0

      桂小文枝(かつら こぶんし)

      大阪市交通局勤務のかたわら1947年四代目桂文枝に入門。絶滅寸前だった上方落語の復興に尽力したいわゆる「上方落語四天王」のひとり。古典落語の持ちネタの多さ、そして三枝、きん枝、文珍をはじめとする直弟子の多彩な活躍ぶりは衆目の一致するところ。1992年五代目桂文枝を襲名、のち紫綬褒章、旭日小綬章受章。
       

       

       

       

       

       


      小文枝師と言えば、古典落語ファンなら温和な人柄と語り口、女性を演じる時の独特の艶やかさを想起されると思いますが、一般大衆・テレビ視聴者的にはMBS『素人名人会』の審査員というのが最もピンと来るのではないでしょうか。あとは、ちょっと古いですが食堂百貨の千日堂のラジオCMナレーション「おおきに、ごっつぉあーん」というのもご記憶の方は多いのではと思います。

      昭和末期から平成初期あたりでは花月劇場の出番もそこそこありましたが、何を置いても爆笑芸最優先の花月のことですから、落語にじっくり耳を傾けるには大変荒れた環境の中で粛々と「京の茶漬」などをかけていました。観客(特に団体客)は、ぶぶ漬けを食べる仕草に感心はしても、ネタそのものの笑いには結びつきにくく、時にはネタに入らず漫談だけで終わったことさえありました。

      ほぼ漫才一色で落語は色物扱いという吉本系劇場、重たい高座を務める小文枝師のお気持ちやいかに、と案じたものです。
      文枝襲名後はNGK出番もほとんどなくなったようで、これは「(花月は)落語を披露できる場所ではなくなったから」というご本人の希望によるものだったとお聞きしたことがあります。

      2005年3月、五代目文枝師肺がんのため逝去。師がどれほど待ち望んだであろう落語の定席・天満天神繁昌亭がオープンしたのはそのわずか一年半後、2006年9月のことでした。

      出囃子は「軒簾」で、花月でもテープでこれが流れていたように記憶しています。文枝となってからは「廓丹前」に変更。

      | よんかく | 落語 | 15:48 | comments(0) | - |
      スポンサーサイト
      0
        | スポンサードリンク | - | 15:48 | - | - |









              1
        2345678
        9101112131415
        16171819202122
        23242526272829
        3031     
        << December 2018 >>
        + PR
        + RECOMMEND
        + SELECTED ENTRIES
        + CATEGORIES
        + ARCHIVES
        + MOBILE
        qrcode
        + LINKS
        + PROFILE