花月の「めくり」

吉本興業がかつて経営していた演芸場・・・旧なんば花月、旧うめだ花月、旧京都花月・・・で昭和末期から平成初期にかけての閉館時まで使用されていためくりをネット上で復活させ、古き良き時代の旧花月劇場を語るブログです。
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    三人奴
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      三人奴(さんにんやっこ)

      1950年、塚本やっこ・市松笑顔・市松笑美子の3名で結成。やっこは太棹、笑顔・笑美子は細棹を持つ三味線漫才トリオで、文楽を題材とするなど当時の音曲漫才の中では独特の芸風であった。のち、やっこ・笑顔の実子である塚本冷奴がギターで参加し4人となるが、1981年やっこの引退とともに冷奴が塚本小やっことしてリーダー就任。
      1999年笑美子死去、笑顔引退によりトリオ解散。小やっこは弟子の呉羽とともに三味線漫才を続けている。


      最初におことわりですが、旧花月劇場での三人奴のめくりは、私の記憶の限りでは3パターンほどあったように思いますので、その3パターンを掲載いたしますが、記憶違いのものもあるかと存じますので「これは違うで」などご指摘を頂ければ幸いです。

      なお、今まで数々の皆様からいただいた情報によると、一番右の「笑美子・小やっこ・笑顔」は確実に存在したようです。


       


       

       

       

       

       

       

       

       

       

      旧花月には本当によく出演していました。芸風が芸風だけに抱腹絶倒という漫才ではありませんが、浄瑠璃などの伝統芸と笑芸をほどよくミックスした通好みの舞台が、寄席ファンを中心に根強い人気を保っていました。

      基本的には三味線に乗せて歌や都々逸、語り物のほか、ちょっとくすぐりを入れた喋りをはさんで、3人による三味線の演奏で締めるというパターン。使われる歌も割と最近の流行歌や歌謡曲、時にはSMAPの曲まで取り入れるなど、工夫を怠りませんでした。
      その一方で、笑顔さんが口にくわえた筆で障子に和歌(恋しくばたずね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉)を書き、狐の面を付けて裏から障子を突き破って登場する葛の葉の曲書き・障子抜け、また、正月興行では何十もの松の絵柄の扇子を使ったお座敷芸パフォーマンス松づくしなど、思わず見とれてしまうような納得芸もよく披露していました。

      会社側も三人奴を「吉本の宝」と認識していたようで、旧花月劇場なきあともNGK出番を多く設定していました。左はNGKのめくりです。ジャンル名も音曲漫才ではなく三弦粋曲という、三人奴だけの看板を使っていました。

       

       

       

       

       

       

       

       

      【三人奴テーマ】(市丸「三味線ブギ」の節で)
      三味線栗毛で シャシャリツシャンシャン
      さぁさ唄およ 陽気にウキウキ
      揃た揃たよ シャシャリツシャンシャン
      一人 二人に 三人揃うて
      浮世後生楽 三味線トリオが 三味線トリオが
      さぁさ 浮かれ浮かれてブギウギ あちょいとブギウギ

      【エンディング】
      さぁさ それじゃ皆様さよなら あグッドバイバイ
      (唄わない場合もあり)


      蛇足ですが、テーマ曲中「浮世後生楽 三味線トリオが 三味線トリオが」のトリオがの部分だけは、やっこさんは唄わず他の2人だけが唄っていました。これは原曲の三味線ブギで市丸さんがそのように唄っているので、おそらくこれを忠実に模写しているのだと思われます。小やっこさんも同じ唄い方を引き継いでいました。

      | よんかく | 音曲漫才 | 16:02 | comments(0) | - |
      メリ・マリ
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        歌メリ・マリ(うた めり・まり)

        かしまし娘門下で、リーダー正司歌江の一文字を取って亭号とする。デビューは1977年頃との説あり。長きにわたり旧花月劇場に出演していたが、1990年頃、メリの結婚を機に解散。マリはその後、エンジェル、まり・みわ、まり・いろは、まりちゃんずなど次々と相方を変えながら漫才を続ける。2009年1月の上方演芸特選会(国立文楽劇場)で歌メリ・マリとして出演。
         

         

         

         

         

         


        花月劇場では永遠のトップ出番をキープし続けていました。駆け出し新人による「フレッシュコーナー」があった時はその次に出てくるのですが、これも実質トップ出番。ネタは数種類ありましたがどれも似たようなもので、客層によっては多少笑いが起こることもあったものの、登場してからハケるまでほとんど客席が反応しなかったこともあり、それでもこれだけ長く花月に出演していたというのは希有なケースではないかと思われます。

        私が知っている出囃子は松田聖子「夏の扉」のイントロ。のち、田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」に変更となったと思うのですが、記憶定かではありません。
        出囃子とともに舞台へ登場するとき、客席の拍手を喚起するためか、2人とも自ら手を叩きながら出てくるのがまず首をひねりたくなる所でした。ネタも自分たちは知名度がないという前提に立ったものが多く、「名前だけでも覚えて帰ってください」とか、めくりを指差して「マメ・リリやないですよ」とか、駆け出しの若い芸人ならまだしも中堅どころなのに…という感が拭えませんでした。

        ここもどちらかというとデブ・ヤセコンビですが、いくよ・くるよほどのコントラストはなく、印象は薄い方でした。デブ(失礼)のメリは松田聖子のものまねが売りで、ドンドン足踏みをしながら踊り出すと一瞬観客は注目するのですが、それもなかなか笑いに結びつかなかったのがつらいところでした。

        なぜ笑いが起こりにくい漫才なのかを考えてみるに、要はご両人とも普通の人なんですね。普通の人がネタどおりにまじめに淡々と漫才をやっている感じで、キャラクター付けが明確でなかったのではと思います。だから観客の方も、どこに笑いのポイントを見いだしたらよいのか、はかりかねているうちに淡々とネタが進んで終わってしまう、という部分があったのではと思います。

        テレビにもコメディーの端役なんかでちょこちょこ出ており、テレビ大阪『お笑い満載吉本号』という番組ではなんとレギュラーでした。出演者は当時の2丁目劇場メンバーの若手主体だったため、2丁目メンバーでも若手でもないご両人にはいささか居心地が悪かったのではと察せられます。特にアドリブを飛ばしたり目立ったしゃべりをするわけでなく、こちらも淡々とテレビに映っているだけ、という感じでした。

         

        なお、ここ数年は上述のとおり国立文楽劇場『上方演芸特選会』に何度か出演しており、私も万難を排して見に行きましたが、ご両人とも容姿は解散前とほとんど変わらず、漫才の内容もほぼ変わらずで、元気に舞台を務めているところを確認しました。平日昼間という時間帯もあり客層は高齢の方がほとんどで、シュールでアグレッシヴな現代漫才について行き難い方々の耳に優しい漫才だったためか、花月時代よりも笑いが多かったように感じられました。

        | よんかく | 漫才 | 20:57 | comments(0) | - |
        マジカルたけし
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          マジカルたけし

          中学生の頃から兄(故・二代目桂枝雀)との漫才コンビで素人ながら名を知られるようになる。阪急電鉄勤務を経て松旭斎滉洋に入門、松旭斎たけしの名で1971年から吉本所属。「たけし」は本名の前田武司からとったもの。
          兄の勧めもあり、奇術を織り交ぜながら落語を演じる「マジカル落語」を始めたところ好評を得て、マジカルたけしに改名し本格的に取り組む。花月劇場に定期的に出演していたが、体調を崩し1991年死去。

          wikipediaマジカルたけし

           

           

           

           

           

           


          私が花月通いをしていた時分はマジカル落語ではなく普通のステージマジックをされており、花月劇場ではマジカル落語を見ることが出来ませんでした。私が唯一この人のマジカル落語を見たのは読売テレビ『お笑いネットワーク』で、手品のネタ販売員と客との会話という設定でカードや小道具を使ったマジックを演じるというものでしたが、この他にも「子ほめ」などの古典ネタをベースにしたものもいくつか存在したそうです。

          ステージマジックをする時のめくりは赤文字が奇術でしたが、マジカル落語の時はやはりマジカル落語だったのでしょうか。

          この人のステージマジックは、人体切断とか空中浮揚とか瞬間移動などという大ネタはなく、あくまで手練の技術を見せるスライハンドマジックが主体でした。花とか小道具を出したり消したり、細かく破った新聞紙が元通りになったり、シルクハンカチの色を一瞬にして変えたり、そういうネタを淡々とやっていくという感じでした。

          たいていはひとりで出ていましたが、たまに奥様と思われる女性が後見を務めている時もありました。その時は、後見の首に輪っかを嵌め、その後ろから長い剣のようなものを刺すという、たけし師にしては大ネタの部類に入るであろうマジックを最後にやっていたのを覚えています。

          バックに流れる音楽はT-SQUAREの「Love is in my sight」「Overhead kick」「宝島」などをつないだもので、マジックの内容に比べるとなかなかセンスの良いものでした。

          複数の資料によると、たけし師には酒癖が悪い一面があったそうで、酔って舞台に上がって失敗するというようなこともあったようです。亡くなったのも過度の飲酒による疾患が原因だとする見方もあります。
          亡くなったとき、新聞等で枝雀の弟、死去みたいな書き方をされていたのを覚えています。こんな書き方をするから、弟の死を悼む枝雀師の精神状態に余計な悪影響が及んでしまったのではないかと思えてなりません。

           

          なお、一陽斎蝶一師のところでも書きましたが、松旭斎を名乗る奇術師は日本で数名、大阪では松旭斎滉洋師、松旭斎小天正師とその門下の松旭斎天蝶さんがいらっしゃいます。

          平成1〜2年頃、旧うめだ花月閉館間際に撮影したものです。ちょうどシルクハンカチのネタをやっているところでしょうか。基本的に小ネタばかりなので舞台上には道具の類はほとんど何もありません(笑) 芸風は堀ジョージ師と似た感じです。

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

           

          | よんかく | 奇術 | 21:10 | comments(0) | - |
          桂文珍
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            桂文珍(かつら ぶんちん)

            1969年三代目桂小文枝(のち五代目桂文枝)に入門。MBS「ヤングおー!おー!」でザ・パンダのメンバーとして知られるようになり、のちニューウェーブ落語で一躍脚光を浴びる。司会者、キャスター、大学講師等としても活動するが、現在は落語に軸足を置き、新作・古典ネタの口演及び後進の育成に力を入れている。

             

             

             

             

             

             

             

            ちょっとマニアックなめくりが続いたので(笑)、今回は久々に看板クラスのめくりをご覧頂きます。
            テレビや高座での活躍ぶりは改めて記すまでもありませんが、ニューウェーブ落語を始める以前は、短髪で丸眼鏡の地味なスタイルで、「芸名桂文珍、本名滝廉太郎でございます」というこれまた地味なギャグの目立たない落語家という印象でした。この人に関しては、ある時期を境に急に変わったような、そんな気がします。

            多数のレギュラー番組を抱えていた時期はスケジュールの都合か洋服姿のまま登場して立って喋るスタイルの時も結構ありました。この時の出囃子はジャズっぽい洋楽を使っており、ジャズ漫画の故・木川かえる師のバックミュージックと同一の曲だったように記憶しています。ネタは漫談か「老婆の休日」などの自作ネタをかけることがほとんどで、古典ネタは聴いたことがありませんでした。

            NGKにおいても当初は立ち喋りの漫談スタイルばかりでしたが、タレント活動から落語へ比重を移すのと合わせるかのように徐々に落語高座スタイルが増えて来たように思います。

            出囃子は「円馬ばやし」ですが、旧花月でもこれを使っていたかは不明です。

            | よんかく | 落語 | 21:57 | comments(0) | - |
            幸朗・幸子
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              人生幸朗・生恵幸子(じんせい こうろ・いくえ さちこ)

              幸朗は都家文雄門下で都家文蔵としてぼやき漫才を始める。相方を数回変え人生航路と改名するが長らく売れず、庭野千草と名乗っていた幸子と組んで1955年に人生幸朗と改名するや人気が出始め、テレビ・舞台で広く知られるようになる。一方で、刑務所など矯正施設の慰問もライフワークとして続ける。幸朗1982年に74歳で、幸子2007年に83歳で逝去。

               

               

               

               

               

               



              このめくりを見て反射的に責任者出てこい!!というフレーズが頭をよぎる方は、もうそこそこのご年配ではないでしょうか。いや責任者出てこい!!というフレーズ自体は今も知る人は多いのでしょうが、それが幸朗・幸子という名前と結びつくかどうかは覚束ないのではないでしょうか。

              私が花月通いをしていた昭和末期、人生さんは既に鬼籍に入っていましたが、その昔、私が中学生のころ親に連れられて行ったなんば花月で、たまたまご両人の出番にお目にかかったので、今回はその時の記憶を綴ってみた次第です。
              なお、このめくりは「上方芸能」165号に掲載されていた河内家菊水丸師所蔵のなんば花月のめくり実物写真を模写して作成しました。

              出囃子は大正琴による浪花小唄のイントロで、なんで当時中学生がそんな歌を知ってるのかと言われそうですがそれはともかく、めくりが出るや客席大いに沸き、いつものパターンで漫才が進み、いやが上にもボルテージが上がって行きます。この時は五木ひろしの歌で「川は流れる橋の下て当たり前やないか!川が橋の上流れとったらどないすんじゃ!」などと吠えておられました。とにかくこの人のぼやきは並木路子のリンゴの唄にまで遡りますから、もう相当年季が入りまくっていますね。

              「ぼやきおやじ」というと頭が古く固いというイメージですが、人生さんはその時々の歌謡曲はもちろん流行語などにも敏感で、すかさず漫才に取り入れていました。このへんの柔らかさが一層ぼやき口調を際立たせていたのではと思います。

              私が人と喋っている時「まぁ皆さん聞いてください」「どつきまわすぞ」「ごめんちゃい」「我がまま勝手なことばかり申し上げまして」などというフレーズが今もって口を突いて出てくる時があり、人生さんの影響力たるや恐ろしいもんやなぁと観念しております。近畿圏出身者で私と同年代以上の者は「ぼやき」が血肉の一部となってしまっている、そう申し上げても過言ではないでしょう。現在、こだま・ひびきがぼやきっぽい漫才をやっていますが、やはりどっか違うなぁと思ってしまいます。それはやはり幸子さんの的確かつ鋭利なツッコミあってこそで、今も「この泥亀!」「ハナクソ!」「よだれくり!」などは秀逸なフレーズとして脳裏から離れません。

              ちなみに、人生さんは前名が「航路」であったこともあり、幸朗の読みは「こうろう」ではなく「こうろ」が正式です。笑福亭鶴光を「つるこ」と読むのと同じ理屈…とはちょっと違うかな(笑)

              それでは、皆さまのご健康とご発展を心よりお祈り申し上げ、本日のめくり高座予定終了でございます。

               

              | よんかく | 漫才 | 22:11 | comments(0) | - |
              ザ・ダッシュ
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                ザ・ダッシュ

                志歌ソング・古賀専太郎の音曲漫才コンビ。1959年のうめだ花月オープンとともに志歌ソングらにより結成された「スプリングボーイズ」が前身。カルテット「フォア・ダッシュ」を経て、志歌と古賀のコンビ「ザ・ダッシュ」となる。一時期、志歌の息子・ばんじょうじを加えてトリオで活動していたこともある。旧うめだ花月閉館後に活動休止し、現在は引退の模様。

                 

                 

                 

                 

                 



                ご両人ともギターを持って、音楽ショウという看板でやっていました。最新の歌謡曲をネタにすることはほとんどなく、たいていは少し前のヒット曲から相当昔の流行歌を演奏したり唄ったりしては、合間にベタな漫才を挟むというスタイルでした。音楽のキャリアは長いらしく、歌や演奏は安心して聴いていられましたが、喋りで笑いが起こることはそんなになかった印象です。

                ネタのひとつに「歌のしりとり」があり、割と新しい歌謡曲から始めるのですがだんだん古い曲しか出てこなくなり、「我々古い歌ばっかり唄てるな」で落とすという趣向でした。
                また、古賀さんが副業(本業?)でカラオケの先生をやっているという話を志歌さんがよくネタにしていました。「漫才だけやと食て行かれへんもん」という感じで…。
                ちなみに、志歌さんは元・和菓子職人、古賀さんは吉本新喜劇の第一期研究生という経歴をお持ちだそうです。

                出囃子はバンジョーによる軽快なカントリー調の曲。音曲漫才というとテーマソングが付き物ですが、私が花月通いをしていた昭和末期にはご両人のテーマソングはなく、いきなりネタに入っていました。
                一方、終わりは必ずエンディングテーマで締め。

                【ザ・ダッシュ エンディングテーマ】
                わけの分からぬ ことばかり
                やってるうちに 別れの時が
                いつの間にやら やってきた
                グッバイさよなら再見(ツァイツェン)アディオス
                また会う日まで ヘイ!


                この最後の「ヘイ!」とともに数歩下がって一礼する仕草が、何となくカッコいいなぁと思っていました。
                テレビにはほとんど縁のなかった、いわゆる「花月に来ないと見られない芸人さん」の筆頭格でしたが、それだけに花月に欠かすことの出来ない舞台芸人さんの心意気が「ヘイ!」に込められていたのかなと、今から思えばそんな気がします。

                | よんかく | 音曲漫才 | 22:49 | comments(0) | - |
                笑福亭松之助
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                  笑福亭松之助(しょうふくてい まつのすけ)

                  1925年生まれで、現在上方落語界では最年長。1948年五代目笑福亭松鶴に入門(六代目の弟弟子)。一時期、宝塚新芸座や吉本新喜劇、松竹爆笑劇で喜劇役者として活動するが、1967年吉本興業への復帰とともに落語にも再び力を入れ始め、古典はもちろん新作ネタも手がける。喜劇作家、落語作家としても才能を発揮し、俳優やコメンテーターとしてテレビにも多く出演。

                  (→ wikipedia笑福亭松之助

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  ご本人の弁を借りれば「おなじみ、さんまの師匠でございます」。落語家、喜劇役者、俳優、作家としてのマルチな活躍ぶりは古くから知られ、テレビではドラマや吉本系のコメディーなどによく出ていました。私が最も印象深いのは、約30年前の『ABCナイトINナイト火曜日』の「おっさんVSギャル」と「松ちゃんのセンチメートルジャーニー」ですね(古い話ですんません…)

                  もともと古典落語に対する思いの強い人で、ネタ数もそこそこあるようなんですが、花月で演じるネタはたいてい天才バカボン
                  舞台に登場するや浮かぬ顔つきで「何人かが義理か厄介みたいにパラパラと拍手するだけで、あとはみんな知らーん顔」などのぼやきトークから始まり、テレビの話題へ、そして「中でも天才バカボンは面白いですな〜」と話が変わり、バカボンの喋り方を使えば夫婦ゲンカは起こらないとか、うだうだ喋ってから「もう少しお喋りせんならんと思うんですが、これでいいのだー」で締めるという、この人の鉄板ネタでした。

                  このバカボンネタは、昭和40年代前半に自作したというテレビ・アラカルトのネタの一部を抜き出したものです。もともとはテレビ番組にかかわる中小ネタをいくつもつなぎ合わせて1本の噺としたもので、いろいろな番組やCMが取り上げられこき下ろされて?いました。このテレビ・アラカルトの音源としては『上方落語大全 朝日放送1080分落語会実況録音盤』 (テイチクレコード,1972 )がありますが、この当時はまだバカボンネタはなく、タイガーマスクや仮面ライダーなどが俎上に乗せられています。

                  (動画:https://youtu.be/JVD-pT5l54o

                  出囃子は「新曲浦島」ですが、花月ではデキシーランドっぽいジャズ調の曲で登場していました。このほか、YMOの「ライディーン」を出囃子に登場し、笑いの少ない「三十石」を演じて「ライディーン」で降りた、という伝説もあるようです。

                  自分の弟子には基本的に「笑福亭」ではなく、本名から採った「明石家」という亭号を与えました。本当に落語を志すことが確認できるまでは笑福亭は与えないという、ここにも古典落語への強い思いが現れているように思えます。
                  その一方で、弟子の実家の家業に関連した名を付けるという奇抜さもあり、明石家小禄、明石家さんまをはじめ明石家パーマ、明石家サドル、明石家パンツなどが実在したそうです(明石家小禄は五所の家小禄となったのち廃業)。

                  趣味の水泳ではマスターズで優勝するなど、90歳を過ぎた今なおバリバリ現役の「芸界の鉄人」であります。

                   

                  「落語 笑福亭松之助」というめくりが出ているのがおわかりでしょうか。
                  ちょうど「天才バカボン」を口演しておられるところです。バカボンネタでもちゃんと見台と膝隠しを使っているのが立派というかさすがですね。「これで、いいのだぁー」

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  | よんかく | 落語 | 11:24 | comments(0) | - |
                  マジック中島・ひろみ
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                    マジック中島・ひろみ(まじっくなかじま・ひろみ)

                    夫婦による奇術ユニット。中島は服飾デザイナー、建設会社勤務のかたわらアマチュアマジシャンとして腕を磨く。堀ジョージ門下となり1979年5月エース中島の名でデビュー、同年10月に現在名に改名。ひろみは後見を務める。
                    デビュー以来吉本興業所属だったが1995年にフリーとなり、1998年10月から松竹芸能。2009年6月再びフリーに。


                     

                     

                     

                     

                     

                    旧花月劇場では月2席のレギュラーメンバーとして長らくおなじみの顔で、旧花月なきあともNGKによく出演していました。カード等を使ったスライハンドマジックから大ネタのイリュージョンまで芸域は幅広く、万人向けのステージマジックといった感じで、花月では傘がやたらと出てくるパラソルプロダクションや万国旗ネタをよくかけていました。
                    舞台の華やかさで言えば、旧花月時代の吉本マジシャンの中では随一だったのではないかと思います。他にも、和妻と呼ばれる日本古来の奇術にも取り組んでいました。

                    師匠は吉本の古株マジシャン・堀ジョージ師。プロデビューはうめだ花月でしたが、その数ヶ月前にうめだのポケットミュージカルス「堀奇術研究所マジックショー」に出演したのが初花月出番だったようです(堀奇術研究所については後日、堀ジョージ師のめくりの時に詳述します)。

                    吉本を離れた理由はご本人に聞かないと分かりませんが、数年間にわたって各地の観光ホテル等で長期公演を続けたのち松竹に移籍し、定席の浪花座に出演していました。
                    2009年には松竹にも別れを告げてフリーとなり、一時期京橋花月などの吉本系劇場に復帰しましたが、現在は活動をほぼ休止し、タクシードライバーをされているそうです(マジック中島オフィシャルブログ)。

                    | よんかく | 奇術 | 21:40 | comments(0) | - |
                    大発見やァ!! 旧うめだ花月入口の写真
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                      撮影年月は覚えていませんが昭和末期でしょうか、とにかく旧う花の閉館直前です。閉館は1990年でしたから、その2〜3年前ぐらいではないかと思います。
                      切符売り場の左側にドア1枚分だけ開けた入口があります。お客だけでなく芸人さんもここを出入口にしていたので、ロビーのソファーに腰掛けていると楽屋出入りの芸人さんを見ることができました。声をかけたりサインをねだったり…今のNGKでは全く考えられない寄席小屋の雰囲気がありました。

                       

                      写真右側に立っている表示板が本日の番組(出演者の出番表)

                      出番表の1回目と2回目の間の模様のある所に代演(スケ)の紙が張ってありましたねぇ〜
                      「○○都合により休演 △△代演致します」という縦長の紙だったように記憶しています。
                      例えば、チャンバラトリオ休演でスケが阪神・巨人の日とかはラッキーって思いました(チャントリさんごめんなさい)。

                      残念ながら出番表の文字がよく見えないのですが、2回目のトップがメリ・マリ、次がいくよ・くるよ…電波の仕事か何かの都合で早い出番となっているのでしょう。
                      その後はローラーズ、由紀子・たか志、どんきほーて、トリの文珍、吉本新喜劇がかろうじて読み取れる程度です。いくくると文珍の二枚看板ですから、今のNGK並の強い番組ですね。

                       

                      下の写真は、1989年の正月興行時のう花入口です(MBS「新春ワイド寄席」映像)。

                      この時は昭和64年。1月8日から元号が平成に変わりました。

                       

                       

                      | よんかく | 写真 | 21:50 | comments(0) | - |
                      カウス・ボタン
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                        中田カウス・ボタン(なかた かうす・ぼたん)

                        カウスは最初上方柳次・柳太門下であったが、事故が原因で破門され、のちにバーテンのアルバイトで親しくなったボタンとコンビを組む。カウスの勤める店に客として訪れた中田ダイマル・ラケットを通じて、弟子の中田アップ門下となる(当時ダイラケは松竹芸能所属だったが、アップが吉本興業だったためカウボタも吉本へ)。カウス・ボタンの名はダイマル師の命名。
                        デビュー後まもなく、女性ファンの圧倒的な人気を得て一気にスターダムへ登りつめ、アイドル漫才師のはしりとなる。ボタンが借金や賭博で数度謹慎するが、カウスがボタンの過去や借金をおちょくりボタンがツッコむスタイルが定着する。


                         

                         

                         

                        ボタンの借金・浮気ネタが鉄板ですが、大師匠であるダイラケ師譲りの正統派しゃべくりネタを数多く持つコンビです。布団ひいて風邪引いて寝てたんやとか、風邪を引いた風邪薬に風邪を引いてない風邪薬を飲ませて風邪を引いた風邪薬の風邪を治して風邪を引いた君がのんだらええんやなどのナンセンスな言葉遊びや、ボタンのツッコミにカウスが笑い転げる仕草もダイラケテイスト溢れる味わいといえるでしょう。旧花月時代の出囃子は、ジャズのスタンダードナンバーと思われる軽快なクラリネット曲でした。

                        NGKが開館したのちもしばらくは旧花月劇場主体の出演で、旧なんばではトリ、旧うめだではトリorモタレという感じの位置でした。旧花月の消滅後は当然ながらNGK出番が増え、トリを取るまでにはかなり時間がかかったものの、今はNGKの大看板となっているのはご承知のとおりです。

                        若い頃のカウスはイタズラ好きでも有名で、特に人生幸朗師がよくターゲットにされていたようです。飛行機の中でカウスが備え付けの毛布を人生師のカバンにこっそり入れ、夜中に人生師宅に航空会社を名乗って「毛布が足りないのですが」と電話。カバンから本当に毛布が出てきて人生師大パニック・・・てな具合です。

                        カウスは仁鶴師とともに吉本興業特別顧問に就任しましたが、暴力団との関係を問われたことから同職を退くという一幕もありました。その後、何者かに暴行を受けるという事件も発生し、本人は否定するものの依然裏社会との結びつきがささやかれているのは、正統派しゃべくりの至芸を持つ彼らにとってなんとも悔やむべき汚点としか言いようがありません。

                        カウス・ボタンの師匠はダイマル・ラケットだとよく言われますが、上述のとおり中田アップが直接の師匠です。当時アップはアップ・ダウンというコンビを組んでいましたが、その前は中田スナップの名でチャック(元吉本新喜劇の泉ひろし)と組んだり、目まぐるしく相方を変える人でした。一方、敏腕な実業家としての一面も持ち合わせており、松竹所属だったダイラケ師が角座のトリを降ろされたことに義憤を覚え、師を吉本へ移籍させるという大胆な工作を行ったのもこのアップさんでした。

                        | よんかく | 漫才 | 22:30 | comments(0) | - |
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