花月の「めくり」

吉本興業がかつて経営していた演芸場・・・旧なんば花月、旧うめだ花月、旧京都花月・・・で昭和末期から平成初期にかけての閉館時まで使用されていためくりをネット上で復活させ、古き良き時代の旧花月劇場を語るブログです。
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    阪神・巨人
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      オール阪神・巨人(おーるはんしん きょじん)

      ともにMBSテレビ『素人名人会』出演がきっかけでアマチュア漫才「マネマネゴンスケ・マンスケ」を結成。のち三代目林家染三に入門、林家三喜(巨人)、林家三六(阪神)を名乗る。その後岡八郎門下となり1975年デビュー。コンビ名はMBSテレビ「ヤングおー!おー!」での一般公募によるもの。ボケとツッコミが自在に入れ替わるスピード感あふれる漫才はデビュー当初から「ポストやすきよ」として評価が高く、あらゆる賞という賞を総ナメ。現代漫才界の頂点に君臨すると言っても過言ではない希代の名コンビである。

       

       

       

       


       

      当ブログに出てくるメンバーが最近やや京都花月化してきてましたので(笑)久々に大看板の登場です。

      素人時代から注目を浴び続けて来たご両人、いつまでも若手だと思っていたら、今や押しも押されもせぬ漫才界の大御所となりました。話術の巧みさと年齢層を選ばず幅広く笑いの取れる芸風は今さら説明するには及ばないでしょう。特に阪神さんのモノマネは20歳代の頃から吾妻ひな子や砂川捨丸など、とても若手の芸とは思えないほどに年季が入りまくっていました。

      このコンビのすごいところは、どんなに仕事を詰め込まれてもソツなくこなし上げ、しかもハズレがほとんどないことでしょう。神・巨を快く思っていなかった吉本の某上層部が彼らを潰そうとして、普通ではとても無理な量の仕事を与えたところ、それらを見事にやり遂げて皮肉にも一層実力と人気を上げる結果となった、という伝説が残されています。そしてネタの多さも飛び抜けており、ある年の正月三が日の間に劇場やテレビで延べ14本ものネタを演じ切るという離れ業もやってのけています(ABCナイトinナイト「八方の楽屋ニュース」)。

      これだけのコンビですからNGK開館とともに劇場出番はほとんどNGKに移り、上席・中席・下席の10日交替制時代は月2席、つまり月のうち20日間のNGK出番が基本となりました。必然的にNGKと競合する旧なんば花月の出番はほとんどゼロとなり、旧うめだ花月でも年2〜3席を残すのみとなりましたが、旧うめだでは仁鶴師、いくよ・くるよ、チャンバラトリオなどのスケ(代演)として舞台に上がることが割とよく見られました。

      テレビで演じるネタと劇場でしかやらない劇場ネタとを厳密に分けており、劇場でも1回目と2回目の興行で異なるネタをかけているのも、ネタ数の豊富な神・巨ならではの特徴と言えます。私が花月通いをしていた当時の劇場ネタは、平日2回興行の1回目は「目ぇくれ目ぇくれ」のアイバンクネタ、2回目は阪神さんの身長ネタ(靴を飛ばすやつ)をやっていましたが、ある時を境に逆になりました。1回目は団体客が多いので確実に笑いの取れる鉄板ネタをかけるのですが、2回目は仕事帰りや通りすがりのどちらかというと芸にシビアな客が多いことから新ネタや実験ネタの手見せのような雰囲気があり、劇場ネタの他にもテレビネタ(「丘を越え行こうよ〜」の歌ネタなど)をかけることが往々にしてありました。でも、どんなネタをしても確実にウケるんですね、これが。

      劇場での出囃子ですが、NGKでは種ともこの『キュウリ de Vacation』のイントロで、いかにも「出て来るぞ」と言う期待を持たせる曲調となっています。

      これに対し、旧うめだ花月の正式出番では落語の「せり」、スケ出番では「晒くずし」と使い分けていました。他の芸人さんがほとんどポッブスや歌謡曲を出囃子としているのに対して何とも古風ではありましたが、これはこれで大看板の風格も感じられたものです。「せり」が鳴り出してめくりが「阪神巨人」に変わった瞬間客席から歓声と拍手が起こるのも毎度のことという感じでした。

      旧なんばでは神・巨を見たことがないので出囃子は不明でしたが、ある詳しい方から外国テレビドラマ「外科医ギャノン」のテーマ曲だったというご教示を頂きました。


      岡八郎師の前に入門していた三代目林家染三師は三代目染丸師門下で、四代目染丸師や故・小染師の兄弟子に当たりますが、六代目笑福亭松鶴師との確執から上方落語協会を離れ、関西落語文芸協会を立ち上げ独自の活動をしていたためメジャーな劇場や電波にはあまり乗ることのない人でした。ご両人にはもちろん上述のとおり高座名もありましたから、落語の稽古も付けてもらっていました。この時の落語の素養も、漫才芸の幅の広がりにかなり活かされているのではないかと思われます。

      旧うめだ花月での高座風景です。バックに寿の文字が入っているので1月中席か下席だったと思います。このときも正式出番ではなく誰かのスケだったように記憶しています。

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      | よんかく | 漫才 | 22:32 | comments(0) | - |
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